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浮御堂 京都に近い堅田の地は、古より湖上交通の要地として栄えました。そのため、 平安時代に比叡山の恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)が湖上安全を祈願し、 自ら一千体の阿弥陀仏を刻んで建立したのが浮御堂の始まりといわれ、 正式名は海門山満月寺といいます。現在の浮御堂は昭和12年に再建されたもの。 昭和57年にも修理が施され、往時の情緒をそのままに残しています。 松の陰にある句碑 鎖あけて月さし入れよ浮み堂 芭蕉 観音堂 堂内には重要文化財の聖観音坐像が安置されている 本堂 伊豆神社 本堅田一丁目にある。祭神は大山祇命(おおやまずみのみこと)。中世、琵琶湖の水運に絶大な特権をもっていた堅田の総鎮守。当社は寛平4年(892)、延暦寺の僧・尊意が伊豆大権現を移してまつったことに由来。なお古くは京都賀茂社の分霊をまつる神田神社と伊豆神社の二社からなっていた。 光徳寺 蓮如上人とのゆかりが深く、真筆の名号・消息等の遺品や伝説が残されている。中でも宗祖の御真影を三井寺から取り戻すために自らの首を差し出したという「堅田源平衛親子」の物語は有名で、源平衛の頭蓋骨が今も安置されている。 堅田源兵衛父子殉教之像 蓮如上人五百回忌記念植樹 祥瑞寺 応永年間(1394〜1428)一休の師華叟宗曇が開いた。一休が22歳から十余年ぶわたる修行に励んだ。当時は祥瑞庵といい、一休も宗純と称していた。一休という道号を与えられたのは25歳、岸辺の小舟で開悟に至ったのは27歳の時。開山堂には師と一休の木造が安置されている。後年、芭蕉も訪れ、句を詠んだ。 杉苔のきれいな庭 芭蕉句碑 本福寺 南北朝時代(1334-1392)の開山。応永元年(1467)三代目住持法王の時、法難を逃れた蓮如が身を寄せ、同寺に本願寺を置き再興の拠点とした。蓮如ゆかりの遺品が数多く所蔵されている。十一代住持明式は芭蕉の高弟で千那と号したところから、同寺は千那寺とも呼ばれる。芭蕉も再三訪れ句を残している。 蓮如堂 多くの句碑がある |
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