滋賀県内の神社仏閣

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help RSS 安曇川沿いの古寺と遺跡(高島市)

<<   作成日時 : 2009/02/20 10:19   >>

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鵜川四十八体石仏郡
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白鬚神社から北へ旧西近江路を約600m進むと、高さ1.6mに及ぶ石仏群が見られます。天文22年(1553年)観音寺城(安土町)城主佐々木六角義賢が亡き母の追善のため、対岸の地(高島市鵜川)に48体の阿弥陀如来座像を建立したものと言われています。様式は室町時代の作風を示す花崗岩質の阿弥陀如来坐像で、一体一体が個性溢れる表情をし、琵琶湖に向かって(観音寺城、安土町の方角)静かに並座しています。48体あった石仏のうち13体が大津市坂本の慈眼堂に移され、2体は行方不明となっており、現在は33体が残っています
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古墳の横穴式石室らしき石室
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白鬚神社
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JR近江高島駅から東南へ約2kmのところにある白鬚神社は、国道161号線をはさみ朱塗りの鳥居が湖中に建ち、安芸の「厳島神社」をほうふつさせます。「白鬚さん」「明神さん」の名で広く親しまれており、社名の通り延命長寿・長生きの神様として知られています。 近江最古の社で、境内には与謝野鉄寛・晶子の歌碑や松尾芭蕉の句碑があります。 毎年9月5・6日の「秋大祭(白鬚まつり)」には京阪神から多くの参拝者で賑わいます。
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大溝城跡
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石垣に囲まれた小高い丘が大溝城の本丸跡です。大溝城は、新庄城(現新旭町)にいた織田信澄(信長の甥)が、天正6年(1578)に築城したもので、琵琶湖から細い水路で通じた小さな内湖(乙女ヶ池)と川と堀を要害とした水城で「鴻溝(こうこう)城」とも呼ばれていました。江戸時代に分部光信が城主になるとこの地を陣屋として明治維新までその支配が続きました。
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鴨稲荷山古墳(かもいなりやま)
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鴨川右岸にある鴨稲荷山古墳は、古墳時代後期の三尾(みお)族長の墓と言われており、現在は前方部の墳丘はないが周辺の地形などから、全長45m・後円部の直径25m・高さ5mほどの湖西地方では平野部に立地する唯一の前方後円墳です。
 明治35年(1902)に発見され、巨大な石棺や加耶の影響を受けた純金製の耳飾りなど副飾品が出土したことから、朝鮮半島との交流が盛んだったことを裏付けます
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藤樹(とうじゅ)書院
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中江藤樹が門弟や村の人達と勉学に励んだ教室は、茅葺き入母屋造りの書院で、慶安元年に彼がこの世を去る少し前に完成しました。明治13年の小川村大火で焼けましたが、遺品などは残り、明治15年に再建。大正11年には、国の史跡に指定されました。藤樹の命日9月25日には、儒式の祭典が今も昔と変わらず厳粛に行われています。
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玉泉寺石仏郡
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五智如来坐像(釈迦、薬師、大日、弥勒、阿弥陀)
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ハスの七結び
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彦主人王御陵(ひこうしのおおきみのごりょう)
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田中神社から泰山寺野へ上がって行くと、その途中に檜並木があります。ここにあるのが「王塚」と呼ばれる古墳です。継体天皇の父「彦主人王」が眠られており、はるか昔から変わらない静かな時が流れているようです。明治38年より宮内庁に管理されています。
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朽木陣屋跡(くつきじんやあと)
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鎌倉時代から明治維新まで、600年余りにわたって朽木の領主だった朽木氏の居城跡。承久3(1221)年、佐々木信綱がこの地の地頭となり、孫である義綱の代から、朽木氏を称するようになりました。
 室町時代には京の戦乱から逃れた足利義澄・義晴・義輝ら将軍を再三にわたり保護。戦国時代には、朝倉攻めの際、浅井氏の裏切りで窮地に陥った織田信長の退却を助力するなど、朽木氏はたびたび歴史の舞台にも登場。関が原の戦い以後は、徳川家康に加勢し、譜代大名格の知遇を得てこの陣屋を築きました。
 東西約150m、南北約300mの敷地に、御殿・侍所・剣術道場・馬場など多数の施設がありましたが、明治維新とともにすべてが取り壊され、現在は堀・土居(つちい)・石垣の一部と2ヵ所の井戸を残すのみとなっています。近年、茅葺きの民家が移築され、史跡公園として整備されました。
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興聖寺(こうしょうじ)
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興聖寺は朽木家の祖佐々木信綱が開基しました。元は上柏村指月谷にありましたが、享保14年岩神村秀隣寺の地に移されました。文政11年に本堂が焼失しましたが、安政4年(1857)3月に朽木大綱公の寄進で25世仙英和尚の代に再建され、朽木家代々の菩提所であります。 本堂内には国の指定文化財の本尊釈迦如来像坐像が奉られています。
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旧秀隣寺庭園
 享禄元年(1582年)12代将軍足利義晴は、三好長基反乱の難をここに避け、朽木稙綱を頼って享禄4年(1531年)まで朽木谷に滞在しました。朽木一族を始め、京極高秀や浅井長政らが将軍を慰めるためにこの庭園を贈られました。面積234坪の武家書院の蓬莱池泉鑑賞式であり、築山の下に滝をしつらえ、さらに池泉の中には鶴亀島を配しています。安曇川の清流と比良山系を借景とした静かなたたずまいを見せています。
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