神代に少彦名神を祀ったことに始まり、古代に沙沙貴山君が大彦命を祭り、景行天皇が志賀高穴穂宮遷都に際して大規模な社殿を造営させたと伝わる。 後にこの地に土着した宇多源氏によって宇多天皇とその皇子であり宇多源氏の祖である敦實親王が祭られ それ以降佐々木源氏の氏神とされ、子々孫々が篤く崇敬していた。婆沙羅大名の佐々木道誉や江戸時代天保年間に消失した社殿を再建した丸亀藩主京極高明、日露戦争203高地の戦いで有名な乃木希典もその一人である。現在も宇多源氏・佐佐木源氏(佐々木家、六角家、京極家、朽木家、黒田家、馬淵家、堀部家、青地家、曲直瀬家、森川家、三井家など二百二十余姓)末裔の篤い信仰を集める。 楼門 江戸時代中期(延享4年、1747年)、平安時代の様式、葭葺、二層門 拝殿 江戸時代後期(弘化5年、1848年)、桁行・梁間とも三間、方形、大工水原源四郎俊勇、 本殿 少彦名神 勾玉
トップへ